人生

時間術と運命の関係

時計の花 人生

日々、忙しく仕事や家事、育児に追われていて、充実はしているけど何か物足りない。

もっと自分の時間が欲しい
充実感が欲しい
今とは違う自分になりたい…
頑張っているのに何もうまく行っている感じがしない…

その状態から抜け出したい
もっとスムーズに生きていきたい
けれどそのための時間がない…そう感じたことはありませんか?

私は自分の時間を有効に使い、無駄を省いきたいと考え、
時間術について調べたり、実践したこともあります。

もともとの性格もあるでしょうが、
結果につながっている感じることは多くはありませんでした。

かと思えば、大した努力もしていないのにスッと上手く行ってしまうこともある。

この違いは何なのか、自分でうまくいかないと感じる時と、
スッと上手くいった時とそうではない時、その違いがわかればそれを実践すればいいのですが、

それが分からないからこそ、あれこれ試したり、
上手くいかない事続きで落ち込んだりしてしまう…

今回は、その話を実感と周囲で起きた出来事、
裏付けとして本で学んだことを中心に書いていきたいと思います。

きちんとデータとして裏付けのあるものから、
スピリチュアルと考えられるような事まで書くつもりです。

まずは、一般的によく使用される時間術について考えてみたいと思います。

時間術と仕事のパフォーマンスの相関関係

みなさんは、時間と仕事や家事など、やらなければいけない事と、
時間術とそのパフォーマンスにはどのくらい関係があると思いますか?

「時間術を駆使した方が、当然パフォーマンスが上がる」と
そう感じている方が多いのではないでしょうか。

結果としては、意外にも関係があるとは言い切れないようです。

「コンコルディア大学が2019年に行った調査:1980年代から2019年までに発表された時間術の研究から158本を選び、約5万3000人分のデータでメタ分析を行いました。

※メタ分析とは:過去に行われた複数の研究データをまとめて大きな結論を出す手法のこと。大量のデータを使う分だけ精度は高くなり、単独の研究を参照するより確かな結論を導き出すことができる。その意味でデータの信頼度はかなり高いと言っていい。

分析にあたり時間術の内容を3つの種類に分けた
①構造化:「どの活動をどの時間に行うか?」をはっきりさせるタイプの時間術を意味する。
スケジュール帳、リマインダー、ToDoリストなどが代表例です。

②保護化:外部の障害やトラブルから時間を守ることに特化した時間術。
時間のかかる依頼を断ったり、早起きで仕事をしたり、仕事中にSNSへのアクセスを遮断したりといった手法があります。

③適応化:同僚の依頼や会議などの問題を事前に想定し、あらかじめ対策を立てておく時間術。
「急な会議が入ったら書類作りは来週に回す」「急な仕事を依頼されたら経費生産は同僚に頼む」のような行動プランを作る方法が一般的です。「予備日を作っておく」なども、この手法にふくまれます。

この分類に基づき、全ての時間術の効果を分析したところ、結論は次のようなものでした。

時間術と仕事のパフォーマンスには「“r“=0.25」の相関しかない。
“r“は2つのデータにどのくらい深い関わりがあるのかを表す数値で、ここでは時間術と仕事のパフォーマンスの関係を示します。数字が1に近いほど両者には関係があるとみなされ、このデータ分析法では0.5以上の数値を取れば「大きな関係がある」と判断されるのが一般的です。
たとえば、ビールの販売量と気温の関係を調べると、たいていは「r=0.78」ぐらいの大きな値が出ます。暑い日に冷たいビールを飲みたくなるのは当たり前ですが、それだけ効果量も高くなるわけです。

その点で、0.25という数値は微妙なラインで「時間術でパフォーマンスが上がることはあるが、効果を実感できない場面が非常に多い」レベルだと考えられます。

・勉強のパフォーマンスに使うと時間術の効果はさらに低くなり、学校のテストの点数や成績アップを期待できない。
・時間術がもっとも効果を発揮するのは「人生の満足度」で、仕事のパフォーマンスより72%も影響度が大きい」

(出典:『YOUR TIME ユア・タイム 4063の科学データで導き出した、あなたの人生を変える最後の時間術』鈴木 祐 著 河出書房新社)

つまり、時間の使い方の効率が良くなるというより、
「効果が出ているように感じる」という、
メンタルの方への効果が高いという結果だということです。

つまり、自分の目標に近付くために採用すべきなのは、時間術ではないのかもしれません。

なぜ時間術で効率は上がらないのか

では、社会で浸透している時間術を使ってもパフォーマンスが上がらないのか。
その理由について、ここ数十年の研究で以下の2点がわかってきています。
・理由①:時間効率の追求が判断力を下げる
・理由②:時間効率を上げるほど創造性が低下する

つまり、効率を重視するあまり判断力の低下によって、
適切な選択や戦略的な計画の立案ができなくなり、
根本的な解決に目指すための創造力すらも低下してしまう。

ということのようです。

人間の特定の情報に集中している時の脳の使い方を「収束的思考」と呼び、
リラックスし、創造的なアイディアを生む時の脳の使い方を「拡散的思考」と呼びます。

散歩をしている時や、ボーッとしてリラックスした状態の時に
なんとなく悩んでいたことや、やらなければいけないと感じていた事の解決方法が
頭に浮かんだ経験はありませんか?

芸能人の方で、「運転中に曲のメロディーが頭の中で流れた」や
物理学者の方で「夢の中で方程式が浮かんだ」など

このような状態は「拡散的思考」と呼べるのではないでしょうか。

私たちが効率を上げようとする時、一般的には「収束的思考」でその物事に集中し、
短い時間で効率的に終わらせたいと考える反面、

「現代の仕事の7割では創造的な発想が求められる」
という調査結果もあります。

つまり、それには「拡散的思考」が必要になるという事です。

時間効率が重視されるようになった理由と弊害

1776年、近代経済学の父アダム・スミスが『国富論』で効率化の重要性を訴え、
産業革命の本質は新しい技術の誕生にあるのではなく、無駄の削減とプロセスの改善による効率化の追求こそが重要なのだとスミスは喝破した。

(出典:『YOUR TIME ユア・タイム 4063の科学データで導き出した、あなたの人生を変える最後の時間術』鈴木 祐 著 河出書房新社)

国富論』は供給重視の 経済学であり、
「『節約』(貯蓄)増大→資本(「生産的労働者の維持にあてられる基金」: 賃金)の増大→生産的労働者数の増大→GDPの増大」である 。 『国富論』の最重要 テーマはGDPの増大であり、
「GDP=(GDP/労働量)×労働量=労働生産性× 労働量」である。

(出典:スミス『国富論』とマーシャル『産業経済学』:生産と分配
関西外国語大学英語キャリア学部教授 滝川好夫
https://www.yu-cho-f.jp/wp-content/uploads/202211.takigawa.pdf)

この考え方がその後の経済学者にも引き継がれたことにより、タイムマネジメントという考え方が生まれ、それが先進国の原理原則となり私たちに浸透している要因と言えそうです。

この考えに対して私自身、自分にしっかり染み込んでいるなと感じますし、
日本に限らず、教育でも無駄を省くことは重視されるでしょう。
資本主義の社会では、言い方はよくないにしても

「短い時間で効率よく働き、他の社員や他社との競争に勝ち、会社に貢献すれば給料が上がる」

このような仕組みで動いていることに疑問や、異論を持つ人は多くはないのではないでしょうか。

けれども、「その時間効率の追求が時間不足を生む」
こう聞いたらどのように感じるでしょうか?

実際に、効率を強調する企業は、実は従業員の生産性は低い傾向にあると言います。

さらに別のリサーチでも、高い目標や生産性を重んじる上司のもとで働くほどストレスが多く、仕事のモチベーションは低く、病欠の率も高く、生産性が下がる傾向が認められたそうです。
(ウィリス・タワーズワトソン社が行ったリサーチ)

生産性を重んじ、それをクリアできない従業員は罰せられるのではないか…
という恐怖心を感じさせるといった状態になることで、生産性が低下するということのようです。

このような、金銭、地位、名誉などに対する期待や、
処罰や不名誉に対する恐れなどによって動機付けられるということを、
当時(1960年代)シカゴ大学心理学教授のチクセントミハイは、
それらを「外発的報酬」「外発的処罰」と呼んでおり、
外発的報酬は以下のような弊害を生み出すという。

外発的報酬の弊害
①給与や社内における地位などは、総量に限界があり、動機付けできる人の数は制限される。動機付けできなかった人は、落ちこぼれとなり沈殿する。

②したがって、経済・社会が発展し、企業の業績が急成長しているときは、多くの人が動機付けられるが、成長が止まると、その数が減る。成長できなくなった企業が、能力給を導入したりすると、悲惨な結末を招きかねない。

③人々の「内発的動機付け」を殺す。「フロー」や「燃える集団」を破壊し、サラリーマン集団を作ってしまう。

④能力は業績のみで評価すると、当然給与や地位が下がることがある。
多くの人はそれを罰と受け止める。罰を励みにできる人はわずかであり、大多数は不当と受け止め犯行と弁明と怒り、あるいは不本意ながらの服従を生む。

⑤社員を差別化し、等級付けをしてしまう。チームワークをこわし、上司・部下の縦の関係にも歪みが入りやすくなる。

⑥組織内の問題を擬似的に解決して、お茶をにごす傾向が出てくる。本質的解決から遠のいてしまうことが多い。

⑦リスクを冒して仕事の質を下げたり、創造性に富んだ発想や行動に挑戦する意欲が低下する。』

出典:『運命の法則: 「好運の女神」と付き合うための15章』 天外伺朗 著 飛鳥新社

効率を追求すると自分の時間ばかりか、ひいては所属する団体や会社も慢性的な時間不足に陥り、生産性も低下するというのが見えてきたかと思います。

それでは、私たちは何を大切に
主軸として考えていくといいのでしょうか。

③に記載されている、「内発的動機付け」、「フロー」や「燃える集団」に触れながら
そのヒントになる事柄を考えていきたいと思います。

何を自分の指針とすればいいのか

創造的なアイディアは生むには「拡散的思考」が必要ということは前述した通りです。

これを可能にするのが、チクセントミハイが提唱した
「フロー理論」だと考えています。
フローとは「流れ」を意味します。

チクセントミハイは、人が喜びを感じるということを、
ちゃんと内観的に調べていくと、仕事、遊びにかかわらず、
何かに没頭している状態であることを見いだし
その状態を「フロー」と名づけました。

「外発的報酬」は、金銭や、地位、名誉が動機付けになるのに対し、
「内発的報酬」は、喜びや楽しさとを動機付けとします。

これにある通り、現在の私たちは、
仕事は金銭や地位、名誉を手に入れるために、
自分自身の満足や楽しみを犠牲にして頑張ること。
それ以外の遊びなどプライベートな活動、喜びや楽しさを動機付けとするものだと考えられます。

同じく1960年代に、ワトソンやスキナーなどによる行動主義心理学が勢力を伸ばし
パブロフの条件反射にみられるような、明らかな刺激――反応関係を主体に、
人間の心理を純科学的に研究しようとする一派です。

フロイトやユングから始まった深層心理学が、主として内観的手法
(自分の意識のプロセスを直接、自分自身で観察する手法)で研究するのに対して、
行動主義心理学では内観的なものは非科学的だとして切り捨てた。
人間の行動に対する動機付けの理論も、外部から理論的に観察できるもに限定した。

この考えが現在まで受け継がれているからようです。

チクセントミハイは著書の中で
『今の社会では“内発的報酬”がほとんど無視されていることが大問題だ』と言いました。

もちろん、外発的報酬重視の価値観に適応でき、
その行為自体に喜びを感じなくても、付随する結果を糧に努力できる人もいるでしょう。

そういった人達は、1つの目標を達成しても次の目標を立て、
更なる結果を求める努力が可能になると思います。
このような場合、例外として既存の時間術が有効になるのかも知れません。

私たちは、外発的報酬を是とする教育を受けた親や先生、周囲の大人たちから同じような教育を受け、テストの点数、偏差値、給料や地位の向上こそが正義だと思わされてきたと思います。

その価値観から脱却するのは大変なことです。
ほんの少しずつでも、自分の内発的報酬に目を向け、
フローと呼ばれる状態になるためには、どうすれば良いのでしょうか。

「拡散的思考」と「フロー状態」の共通点

では、「フロー状態」とは具体的にどのような状態を指すのかを見てみましょう。

「フロー状態の特徴」
①行為に集中、没頭している
②浮き浮きした高揚感
③雑念がほとんどわかない
④時間感覚の喪失
⑤自分自身の感覚を喪失している
⑥その場を支配している感覚。自分が優位である感覚
⑦周囲の環境との調和感、一体感

フロー状態がきわまると「深いフロー」と呼ばれる状態に達することがある。
アブラハム・マズローなどが心理学的に調査した、
宗教的な至高体験とほとんど同じだと、チクセントミハイはいっている。

出典:『運命の法則: 「好運の女神」と付き合うための15章』 天外伺朗 著 飛鳥新社

これを見た時、スポーツ選手の「ゾーンに入る」という現象かと感じました。
確かに、その状態になることができれば、スムーズに事は進みそうですが、
特別な人が、特別な状態になっている感じがあっていきなりは実践できないし
自分には無理なのでは…?と感じました。

けれど安心してください。
「深いフロー」があるように、「マイクロフロー」と名付けられた
ボーッとして雑念が出るにまかせている時、喫煙、意味のない会話、
テレビを観る、本を読む、散歩をするなど、
日常生活の中にも、きわめて浅いフロー状態が存在すると言っています。

これが、リラックスし、創造的なアイディアを生む「拡散的思考」との共通点です。

「マイクロフロー」は、私たちの感覚からすると、有意義に時間を使っている。
という感覚はなりにくいのかも知れませんが、その重要性に関する実験があり、

『マイクロフローを剥奪する実験を行ったところ、被験者たちは有意の差で、眠気、疲労、不健康感、頭痛、くつろげなくなった、注意力の減退、敏活さの減少などを訴えた。』

つまり、このマイクロフローの時間を無駄と一掃してしまうのではなく、
創造的でより良い活動のためには必要だという事です。
そして、このマイクロフローをさらに突き詰めた先に、
フローや深いフローと呼ばれる状態に近づけるのではないでしょうか。

いつも時間が足りないと感じる、本当の理由

拡散的思考やフローが大事だとはなんとなく分かっても、
今の自分にはそのための「時間」が足りないんだ。

だから時間術を使いたいし、使っている。
そんな意見があるのはもっともだと思います。

けれども、実際に、私たちの時間が以前と比べて「減少しているか」ということについて、
次のような結果がわかっています。

『・総務省の社会調査を使った分析
→日本人の余暇は週あたり平均110時間(睡眠含む)で、この数字は1940年台から現在までほぼ変わっていない。

・メリーランド大学の調査
→複数の国から日記を集めたところ、先進国の人々が仕事に費やす時間の合計は過去50年間全く増えていないどころか減少しや地域も多く、余暇の時間にほぼ変動がなかったと報告した。』

これを見ても分かる通り、私たちの自由に使える時間は、
半世紀も前とさほど変わっていないようです。

にもかかわらず、「時間が足りない」と感じる。
その理由の一端は、「満足」が足りていないことにあるのではないでしょうか。

①身体の満足
マズローの「欲求五段階説」の「生理的欲求」に対応している。食欲や性欲など動物的な本能や身体的心地よさが満たされることを意味する。

②頭の満足
※対応する心理学の学説がうまく見つからず、天外伺朗氏の定義による。
つまり、理性(頭)で考えて、「こうありたい」という思いが実現された時の満足感だ。
「外発的報酬」を追い求め、金持ちになった、地位が上がった、有名になった、などの定義がこれに相当する。一般的に満足というと、これを指すことが多い。
ところが、この満足は、あくまでも外部からの評価の目を意識した満足感であり、きわめて表面的なのが特徴だ。したがって、目標を達成したとたんに「燃え尽き症候群」に陥ってしまうことが多い。そうならないためには、また素早く次の目標を設定して、努力を続けなければいけない。
つまり、「外発的報酬」を目指した行為は、そのための努力をしている時の「自分は正しい方向に進んでいる」という、どちらかというと「充実感」が主体なのだ。その充実感ゆえに、苦しさに耐えたりできるのだが、やはり本来の「満足感」とは微妙に異質なものだ。

③心の満足
「フロー」状態を指す。
喜びや楽しみで心の底まで満たされるので、外部からの評価や称賛をなんら必要としない。本当の意味での満足感を意味している。

④魂の満足
学問的には「魂」という用語に問題はあるが、マズロー等が調査した宗教的な至高体験を指す。瞑想などの宗教的修行中に、自我意識がほぼ喪失し、宇宙と一体に感じることをいう。至福感きわまって涙することが多い。
「深いフロー」でも同様の体験をするが、日常生活でこの状態になることはまれ。

出典:『運命の法則: 「好運の女神」と付き合うための15章』 天外伺朗 著 飛鳥新社

満足ついて、心理学の世界では上記のような段階があるとされています。

実際に、自分の事として考えてみると、
お金のためだけに好きでもないし、何の喜びも感じない仕事を生活の為と
長期間続けなければいけないとしたらどうでしょう?

頭では必要だと分かっていても、「満足」という感覚は感じないのではないでしょうか。

その行為自体に何かしらやりがいや、喜びをを感じられるからこそ、
(得られた報酬〈お金〉を何か、または誰かのために使う事を含め)
人間は自分の価値を実感し、時には燃えるような感覚を覚えるのではと考えました。

たとえ、日々の小さなことであっても、それは同じだと思います。
では、人間(または集団)が燃え、その状態を維持するために必要なことは何かを見ていきましょう。

自分が「燃える」状態を作るには

自分自身が燃えるには、何度も出てきた「内発的報酬」は欠かせません。
喜びや楽しみも感じないのに、その行為がいくら必要と分かっていても
人は「燃える」ことは無いと思います。

過去に、人から強制されたことが長続きしなかったり、
自分のためと分かってはいても一生懸命になれなかったり、
このような経験は一度くらいあるのでは無いでしょうか。

上記のような、燃えない原因には個人や、職場であればチームにも共通点があると思います。
ということは、燃えない要素を避けることができ、自分が喜びや楽しみを感じれば、
より燃えやすく、フローや拡散的思考の状態に近づき事ができる。
そのおかげで、満足感が得やすくなると言えるのでは無いでしょうか。

そのために、チームの燃えない要素を通し、
実際に自分たちの時間の満足度を高める方法を考えてみましょう。

・チームが燃えない要因
1.船頭が多すぎる場合
2.政治問題でプロジェクトの方向が左右される場合
3.上司が細かいことに口をはさむ場合
4.チーム内に何となく不明瞭な雰囲気がある場合
(例えば、言いたいことが言えない、とか、親分子分の人間関係が支配的だったりする場合)
5.プロジェクトの目標に問題がある場合
6.チームを構成する人材に問題がある場合
7.チーム内に感情のもつれがある場合

出典:『運命の法則: 「好運の女神」と付き合うための15章』 天外伺朗 著 飛鳥新社

前述の通り、これはチームが燃えない理由です。
ですが、1〜5は大人の方であれば職場、若い方であれば家庭等に置き換えると
下記のように個人の燃えない理由として解釈できるかと思います。

1.指示者が多すぎる場合
→上司と教育係、両親などの間での考え方や指示に相違点があり、どちらを採用するかという問題が生じる。

2.他に最適なものがあるにも関わらず方向性が左右される場合
→明らかに特定の人物以外が得をしない、都合によって変更を余儀なくされるなど。

3.指示者がやり方にまで細かく口を挟む場合
→結果だけではなく経過まで自分の思う通りにコントロールしようとする。

4.力関係が明確なため、意見が言えない、言っても聞く耳を持たない場合
→自分の意見が正しいと思っている人物が支配権を持っている、パワハラやモラハラの横行。

5.目標にいっさい自分の意見が反映されない場合
→目標を押し付けられ喜びや楽しさが見出せない状態。

私自身の経験でも、こういった事柄に直面すると、
面倒になってその事柄自体への興味も情熱も、一瞬で吹き飛んでしまい
形だけ取り繕うように取り組むだけになってしまった事が何度もあります。

このような燃えない原因が分かれば、できる限りこれらに該当しないように行動すれば
自ずと自分自身の内面は燃え、より満足感が高まりやすく
苦痛に感じることも無いので結果も伴う可能性も上がるのでは無いでしょうか。

無駄を楽しむ心も大切

燃えている状態が全く無駄がないかと言われれば、
内発的動機による喜びや楽しさに起因しているので、
仕事や勉強の成果とは別の方向性に向いている可能性も考えられます。

「効率を強調する企業は、実は従業員の生産性は低い傾向にある」とあったように、
時間の無駄にこだわると創造性は下がることも分かってるため、何かしら自分の糧になるとは言えるでしょう。

結果ばかりにとらわれ、成果だけを重要視しすぎる事で、無駄に感じた行動はしなくなってしまい、それによって得られるはずだった経験が無くなってしまうことになるのです。

例えば、逆上がりができない子供がいたとします。
逆上がりをするためには、鉄棒を握る力や地面を蹴り上げる力、自分の体のバランスをとるための体幹も必要になるでしょう。

その子が自分が楽しいと感じるから、「うんてい」をし、
友達と「鬼ごっこ」をして遊び、小さい頃から習っている「水泳」を
楽しんで続けている。

それを見た親が、「逆上がりができないのだから、無駄なことをせずに逆上がりだけを練習しろ」と言ったらどうでしょう。

その子は自分ができないという理由で、「逆上がり」に必要だった能力を身に付けたり、
運動という事に共通して必要な力を身につける機会も、奪われてしまうのです。
これでは、逆上がりが成功するまでの期間は短縮はされないでしょうし、
その前に本人のやる気が失われ、挑戦すらしなくなってしまう可能性もあります。

結果ももちろん大事ですが、それ以上に長い目で見て
そこに至るまでのプロセスも大事にする必要があるということです。

効率を重視したことによる影響としてこのような研究結果もあります。

・マサチューセッツ工科大学などの研究
→670万人のネットユーザーを調査したところ、大半の被験者がコンテンツの読み込みを待てるのはたった2秒だった。

・MITによる調査
→結論は似ており、現代人は平均40秒間しかコンピューターの画面に集中できず、1分も経たずにアプリを切り替えるか、他のコンテンツに移動してしまうと報告した。

(出典:『YOUR TIME ユア・タイム 4063の科学データで導き出した、あなたの人生を変える最後の時間術』鈴木 祐 著 河出書房新社)

動画や映画を倍速で視聴したり、物語を楽しむより「タイパ」を重視する人がいますが、
その結果、体験を通して得られるはずだった「満足」を犠牲にしているのかもしれません。

ここまで見てきた通り、時間術が結果に直結する人は多くない。
さらに、効率を求めると創造性が減少することが分かってきたかと思います。

では、満足感を犠牲にせず、スムーズに物事を進めるためにはどうしたら良いのか。
それには自分の努力はもちろん、「運」も必要になるのではないでしょうか?

ここからは、「運」について掘り下げてみたいと思います。

ゲン担ぎと運について

皆さんはゲン担ぎをした事はありますか?
左足から靴を履く、バスや電車で同じ座席に座る、試合前にカツ丼を食べるなど
日々の不運を避けるためや、何かの成功や勝利を願ってなど
一度は経験がある人も多いのではないでしょうか?

普通に考えて、科学的根拠もないゲンを担ぐことの意味は、
以下のような意味があるようです。

『理性的に判断して意味がなくても、
心理学的に見れば、それによって心の安定が確保されているわけであり、
やみくもに排除すべきものではない。』

ゲン担ぎの裏には、前向きな気持ちがあると思います。

では、その逆はどうでしょうか。
例えば整形やかつらなど、そのままの自分を受け入れていないことを形にしてしまう事は、
心理学的には「自己否定」になります。

年齢を重ねるうちに頭が禿げたり、シワが増えたりするのは自然の流れで、それを隠したりすることは「自己否定」を表現し定着させてしまいます。

運という観点からこれを見ると、老いというのは運命の流れであって、
かつらや整形はその流れに逆らう事になります。
そういった時に感じる、何となしの居心地の悪さ、不快感、何となく人生がギクシャクしている感覚と言った「不運」な状態は、「運命の流れと違う方向に進んでいますよ」と、
教えてくれているのかも知れません。

自己否定が何だか最近ついてない…程度の不運だとすれば、
それを上回る危険性があるものがあります。

それは「うぬぼれ」です。
何かがうまく行ったとき、すごい能力がでに入ったとき、人から称賛された時など、
うぬぼれてしまっても仕方がない時があると思います。

このうぬぼれについて、天外伺朗氏は

『「自己否定」が、「運命の流れ」からずれている行為だ、という話をした。
「うぬぼれ」や「思い上がり」もそうなのだろう。
しかも、そのずれかたが、単なる自己否定より大きいのかもしれない。
だから、それを知らせるシグナルも激しくなるのではなかろうか。』

と話しています。

そして、その自己否定はバーストラウマから発生するとされています。

幼児期に、両親や保護者からたっぷり愛情を受けられなかった人は、その自己否定が肥大化してしまう。肥大化した自己否定を抱えて生きていくことは、とてもつらいことだ。
そこで、人は自己否定に対処していくことになるのだが、その方法は二つある。

①人間として自然な意識の成長・進化の中で解決していく方向性。
首尾よく成長できれば、より、「フロー」に入りやすくなり、宇宙の流れ、運命の法則に沿った人生になるだろう。

②自己のトラウマを、戦いのエネルギーに昇華させる生きかた。
成功者や指導層のほとんどは、こちらのパターンだ。だから国会では次元の低い戦いに明け暮れているし、企業の上層部も常に足の引っ張り合いの主導権争いを繰り広げている。
人気者の多くが、尊大で驕り高ぶっているのは、自己否定が根本的には解決していないからだ。戦いのエネルギーに昇華したものの、まだまだ勢いよく内側からその人を突き動かしている。それが、腐臭となって周囲に感じられるのだ。

出典:『運命の法則: 「好運の女神」と付き合うための15章』 天外伺朗 著 飛鳥新社

自己否定とうぬぼれは全く正反対の状態だと思われますが、
心の中での自己否定に耐えられず、それを何とかして補おうとしてうぬぼれが生じる。
ということのようです。

このような抽象的な話に限らず、自分のやりたい事、やるべき事が明確な人は、
自己否定に陥ることも、必要以上にうぬぼれたりもしないと思いませんか?

「不運」と呼ばれる状況を避けるためには、自分自身に「軸」が必要で、
その「軸」のズレを分かりやすく教えてくれるもの。
そう考えれば、私たちが日常大切にする事は絞れてきたのではないでしょうか。

物事がスムーズに運ぶために必要なことは

ここまでの流れを整理すると、一般的な時間術だけを駆使しても、時間不足は解消されない。
自分の活動に創造性を持たせるためには、効率だけを重視しない
内発的動機や拡散的思考(マイクロフローとも取れる)が必要になる。

その上で、自分の定めた軸に沿った生活が送れれば「運」もついてくる。

ただし、そこには気持ちやモチベーションだけではなく、
実際の行動も必要になってくるでしょう。

地球は行動の星と言われる事がありますが、
自分の望む結果に向けて準備した人に幸運が訪れるのだと思います。

冒頭で、大した努力もしていないのに上手くいった経験がある。
と書きましたが、それはそこに至るまでの数々の失敗がようやく実ったか、
喜びや楽しさに突き動かされていた為に、努力と感じていなかったのかも知れません。

いずれにせよ、自分の定めたもの向けて行動していたことは確かです。
この私の経験に近しい事を、天外伺朗氏はこのように表現しています。

『「もっとも真剣に準備した人のところに強運が訪れる」というのは本当だ。
ただ、いかに真剣だろうと、誰かに強制されて準備を進めても、強運はこない。
内側から込み上げてくる情熱にまかせ、自分で発想し、
自分でコントロールできる状態で準備すると、はじめて幸運につながるのだ。
これも「フロー」に伴う好運だ。準備そのものが好運を呼ぶのでなく、
準備作業中に「フロー」に入っていることが重要なのだ。
だから当然「内発的動機」に基づいていなければならない。』

前章で、「運命の流れ」という言葉に触れましたが、
それは今この瞬間にすぐに気づけるようなものではなく、
後から振り返ることでその存在に気付けるものだと感じています。

皆さんにも苦しかったけれど、後から振り返ればこの経験のおかげで人生が変わった。
成長できたように感じるといった事は無いでしょうか?

このように日常では気付けないけれども、
確かに私たちの人生の背後ある運命の流れのようなもの。
これを「大河の流れ」と天外氏は名付けました。

さらに、「フロー」と「大河の流れ」の関係について、
「内発的動機」の役割についてこのように説明しています

『「フロー」
・明らかに自覚できるしそれに基づく好運もすぐわかる。
・表面を流れる速い流れ。

「大河の流れ」
・まず発見することはあり得ない。ずっとあとになって、詳細に検討して、ようやく存在に気づく程度。それに好運も、そのときにはわからないことが多い。
・宇宙の深いところで、滔々とゆったり流れている巨大な流れ。

「内発的動機」
・報酬や地位につながったり、人々の賞賛を期待するのではなく、純粋に心の内側からわき上がってくる高揚感、ワクワクした感じのこと。
・フローに入りやすくなり、運が向いてきて、人生がスムースになる
・意識の成長・進化につながっている
・やがて大河の流れにつながっていく』

物事をスムーズに進めるためには、
自分の「内発的動機」を軸として、「フロー」に入りやすい状態をできるだけ維持し、
表面的なラッキーな事や不運な事に振り回されず、
「大河の流れ」に逆らわない生き方をすることで、それが実現できる。
ということが言えるのではないでしょうか。

運命が変えられるか

日々の生活の中で内発的動機によるフローを意識し、
その先にあるはずの大河の流れに沿った生き方をすれば、運命を変えられるのか。

私自身、自分は他の人よりも運がわるいと思ってきたので、
運命を変えたいと思った事は何度もあります。

運が悪いなと感じさせる出来事に当たった時、
それから逃れたい、二度とこんな目にはあいたくない、
自分の力でどうにか回避できないか…。
こんなふうに考えてきました。

それでも自分が逃げたいと思ったそれは、形を変えて
何度も何度も自分に押し寄せてきました。
そして、ある時こう教えられたのかきっかけで少しずつ、
それから逃げようと考えるのをやめました。

「起きる事は見る人によって感じ方が違う、すごく苦しいと思う人もいれば、
挑戦できる楽しみと受け取る人もいる。
起きた物事に問題があるのではなく、それを受け取った人の感じ方の問題だと思うよ」

この現象は、私たちの脳の働きで説明が可能です。

・客観的事実など存在しない。この地球上の1人ひとり少しずつ異なる形で世界を認識している。
・誰もが、個人の脳の特徴の歪曲、もともと備わっているフィルター、認知バイアスのおかげで、独自のオーダーメイドの「現実」を生きている。
・世の中に対する認識は正確な「スナップ写真」ではなく、単なる主観による幻想であり、これまで見てきたものに基づいている。

出典:「「運命」と「選択」の科学 脳はどこまで自由意志を許しているのか?」  ハナー・クリッチロウ 著  日本実業出版社

これで分かる通り、同じ世界、同じ時間を生きている私たちに全く同じ「現実」は存在しないという事です。
目の前で起きた事は同じでも、そこに「主観」が入ることで
ありのままを見ているとは言えないのです。

そこがどうせ主観で歪んでしまうのであれば、
いっそのこと、すべてが「好運」と割り切ってしまうほうが生きやすいと思っています。

まさに人間万事塞翁が馬です。

中国の北端、国境の「塞(とりで)」の近くに、
占いが得意な「翁(老人)」が住んでいました。
あるとき、彼の飼っていた馬が逃げてしまったので、みんなが同情しましたが、
彼は「これは幸運が訪れる印だよ」と言います。
そして、そのとおり、逃げた馬は立派な馬を連れて帰ってきました。
そこでみんなが祝福すると、今度は「これは不運の兆しだ」と言います。
実際、しばらくすると彼の息子がその馬から落ち、足の骨を折ってしまったのです。
またみんなが同情すると、彼は、「これは幸運の前触れだ」。
息子はその怪我のおかげで、戦争に行かずにすんだのでした。

出典:コトバンク(https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E9%96%93%E4%B8%87%E4%BA%8B%E5%A1%9E%E7%BF%81%E3%81%8C%E9%A6%AC-593690)

幸運と思うことの中に不運が隠れていて、
不運と思うことの中に幸運が隠れている。

どれだけジタバタしても仕方がないのかも知れません。

そうであるならば、大きな流れに身を任せ、
自分はワクワクして楽しいと感じる内発的動機に従い、
一生懸命に取り組んだ方が幸せだと思います。

最後に、人間はレジリエンスという素晴らしい能力を持っています。
レジリエンスとは、逆境を経験しても、健全な将来の展望を持ち続けられるということです。

人の持つものでその人自身の運命を変える力があるとすれば、
このレジリエンスに起因するものではないでしょうか。

最後に

私たちが時間が足りないと感じたり、
そこに満足感や有意義さを感じられないといった事は、日常でままあることだと思います。

時間術が実際に時間の効率化への効果が
はっきりあると言えないのがわかった以上、
その効果が実感できない人は、他のアプローチを考えてみる価値はあるのではないでしょうか。

「何となく不快」や「何となく虚しい」と感じるのは、
何らおかしい事ではありません。

その感情をそのまま見なかったふりをしても
また少し経てば同じように感じたり、
さらに虚無感が強くなったりする可能性もあります。

どうせ何をやっても無駄と感じでそのままモヤモヤし続ける位だったら、
いっその事、自分と大きな流れを信用して、
自分の心が楽しく、内側から情熱が込み上げることを
実践してみる時間を自分に許してあげても良いのではないでしょうか。


そのうちに、仕事や勉強のモチベーションや成果につながる事もあるかも知れません。

ぜひ、あなたの本当の望むことを楽しんで
生活に取り入れてみてください。

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