病気もケガも無く、家族が仲良しで何もかもが平穏。
学校や仕事にも行けるし、恋人もいる。
欲しい物も全部では無くても、それなりに買える状態にある。
確かに幸せだとは思います。
疑う事もないですし、否定もしません。
じゃあ、家族の中ですれ違いや,喧嘩が起きたら不幸せですか?
子供が自分の言う通りにしなかったら不幸せ?
病気になったり、ケガをしたら不幸せ?
適齢期なのに未婚だったら不幸せ?
(今はもうこれもあるかどうか不明ですけど…)
まして、その家族がいなかったら不幸せでしょうか。
人によって不幸なことはいろいろと思い付きそうですが、
それは本当にあなたが感じる不幸ですか?
周りがこう言っているから。
親が期待しているから。
そうしていないと周囲から浮いてしまうから。
流行っているから
空気が読めないと言われそうだから
こちら人それぞれ色んな事が想像されると思います。
今回は一見すると、私自身に起きた不幸な事を通して、
今が苦しいと感じる人にとってほんの少しでも、楽に感じられるようになってもらえたらと思います。
事故のせいで無職に…
私は、順調に何不自由なく生活してきた訳ではありません。
どちらかと言えば、躓きも失敗も多い方では無いかと思っています。
その中の一つに、事故によるケガでの入院生活があります。
事故に遭ったその日は、雨で視界も悪く、
そのせいで、普段より帰宅時の車も普段よりずっと多かったです。
私は、原付で自宅までの道を走っていました。
あと5分ほどで帰宅できる位の場所に掛かる橋を右折しようと、
停止すると、前方の道路は渋滞で車は止まっており、
安全に問題ない事を確認後、右折を開始したその時…
センターラインを越え、逆走してきたバイクに衝突されてしまいました。
それからの記憶は暫くとんでおり、
気が付いたら救急車の中でした。
その後、病院で一通り検査を受け、
幸いに、骨折や脳の異常も見付からず、
その日は、右足の裂傷の処置を済ませただけで
帰宅することが出来ました。
ですが、転倒時に負った打撲の痛みで、
眠れない夜を過ごしました。
眠れない夜を過ごしました。
更に、その傷の痛みは収まっても、
歩行時に、右足の不安定さが後遺症として残った事で、
接客の仕事を辞めざるを得なくなり、
本当の戦いはここからでした。
原因不明から一転、入院生活に突入
右足の不安定さが、具体的にどういう感じだったかというと、
階段や坂道を下る際に、安定しない、グラグラするような感覚があり、正直、とても怖かったです。
にもかかわらず、抜糸後の検査でも、
その話はまともに取り合ってもらえず、
病院を何軒か変え、その事を訴ましたが、
どのお医者様も、
『異常は見つからない。』
の一点張り。
中には人の顔を一度も見ることなく、
検査結果の映ったPCの方を向いたまま…
『そもそも、気のせいでは?』
という医師もいらっしゃいました。
悔しかったです
その時の私は、自分は「不幸」だと思っていました。
同じ話を医師から、看護師、
加害者側の保険の担当者に話し、
真剣には取り合ってもらえず、
また、思う様に仕事も出来なくなった惨めさに、
焦りも出始めた頃でした。
一縷の望みをかけ受診した病院で漸く、
原因を突き止められる先生に出会うことができました。
原因を突き止めると、そこからは一気に話が進み、
隣県ですが、内視鏡で傷が出来るだけ目立たないように手術ができる病院を紹介され、
一度、精密検査と診察を受けた後に、
入院の日取りを決める事が出来ました。
手術は一度目で、自分の靭帯と人工の物を合わせ補強し、
二度目は固定した金具を外す、というものです。
一度目も、二度目も入院期間はトータルで二カ月。
途中リハビリ病院への転院もあります。
また、一度目の手術から、二度目の手術までの間が一年空ける必要がある為、
必ず治すぞ!
という気合を持って臨みました。
強かな戦略
私の場合、不幸中の幸いだったのが今回の事故での過失が無かった事で、
治療費及び仕事を辞めざるを得なくなった事での生活費などお金の心配をしなくても良かった事です。
それでも、入院生活を送っていると、小さなお金が必要でそれが積み重なっていきます。
(テレビを見る、洗濯をするなどお金が常に掛かります。)
そこで、相手の加入する保険会社の担当者と交渉することになるのですが、
相手はプロです。
出来るだけ「支払額を少なく」抑えようとします。
ある程度予測はしていたのですが、これは大変です。
自分の望む対応をしてもらう交渉術はもちろん
「自分の希望をハッキリ言葉にする」
この能力が一番重要だと思います。
(全ての方では無いと思いますが)
妥協すると、つけ込まれるので遠慮していたら丸め込まれる。
という事です。
これが意外と大変で、それまで生きてきた中で、
そのような交渉の経験はありませんし、自分の父親のような年齢の大人を相手にそれを伝えるのです。
自分世間知らずで、周囲の人に守られていた事を実感しました。
何より、お金を無心しているような感覚になり、
惨めな気持ちになってしまうのが一番堪えました…。
更に、一度目と二度目の手術の間もリハビリは必須です。
更に、一度目と二度目の手術の間もたった2週間歩かないだけで、筋力の低下は見た目にもわかる程になってしまうので、リハビリは必須です。
ただ、ここで問題なのが、
私が地元では無く、隣県で手術をしたという点です。
リハビリをそこまで長期間受け入れてくれる
場所を探すのが大変なのです。
(ここまでの期間だったら医療費の点数が高いという期間があるらしく、それ以降は大してお金にならないので仕方は無いですよね…)
だからといって、誰かがどうにかしてくれる訳ではありません。
私は、リハビリを長期間続けるという、自分の希望を叶えるべく、強かな作戦に出る事を決めました。
それは、私の顔も見ず、何度か通ったのに原因を突き止められ無かった病院に診断書を携え、再診に行く事にしたのです。
先に診断書を確認してから、診察室に呼ばれたので、
案の定、気まずそうな医師(笑)
「どうされましたか?」と聞かれたので、
「来年また手術をします。それまでリハビリが必要なので、受け入れてもらえますよね?」
と、内心ドキドキしながらも伝えました。
半分脅しですが、これは効果てきめん!
次の手術までのトレーニングを此方の希望通りに、受け入れてくれる場所を手に入れました!
それで、自信を付けた事で、
その後、ケガの完治ではなく、病気や怪我が一時的によくなり、症状が抑えられている寛解という状態で治療はひとまず完了となりました。
(私の場合、あとは自分でトレーニングをし、筋力を維持する事が必要です。)
つまり、治ったわけでは無いので、後遺障害となったという事です。
事故の被害者という事は、慰謝料が後遺症の重さにより発生します。
ここで、相手方の保険会社から連絡があり、示談金を示されましたが、
正直、びっくりするほど低額でした…!
怪我と手術で痛い思いをして、何カ月も入院し、今後もトレーニングは止められない。
止めたら年をとったら寝たきりと脅されているのに…!
これは負けられないと、自分の後遺症の重さと同等の事故での慰謝料の相場を調べてみるとビックリ。倍以上の額になるとの事。
いろいろ調べてみると、自分の保険に弁護士特約が付いているではないか!
これは使うしかない!という事で、弁護士さんに相談だ!
と実行したところ、あっという間に調べた通りの金額となりようやく、事故の一件から解放されました。
ケガをしたおかげで得たもの。
今振り返ってみても、事故前の私は、世間知らずの甘ちゃんだったと思います。
入院すると、周囲は他人。
おまけに年齢もバラバラで、生活のペースもそれぞれです。
寝る時間も起きる時間も管理されていますし、
プライベートなんてありません。
(ゆっくりしたくてもお姉さま方がカーテンを開けてきます(笑))
それでも、頼る人も居ないので、
人間関係を程よく維持する能力も、身に着いたと思います。
そのおかげで、その時一緒にいた中の一人の方と、
手紙をやりとりする中になりました。
母親より年上の方ですが、今でも続いています。
さらに、様々な事柄で、交渉を経験したことで、
自分の意見をはっきりと言える強さが必要な事を身をもって知りました。
そしてなにより、
ケガの後遺症がある、このおかげで運動が習慣になりました。
筋トレは続けていましたが、最近は長距離走が増えました。
そのおかげで、新たなご縁がありましたし、
今となっては原付同士の衝突事故はネタとして使える位に、自分の中でスッキリ吹っ切れてます。
事故の直後は、相手の事を恨みましたし、
入院中も楽しい事ばかりじゃありませんでした。
けれど、結果を見るとむしろ良い事の方が多かったように思います。
いや、自分がそう感じられるように変化したのです。
起きた事は変わってないですし、
昔の自分だったらきっと、いつまでもウジウジして
不幸だ、ついてない……
と他人を恨んだり、落ち込んだり、
上手く行かない事を人のせいにして、
停滞し続けた可能性が高かっただろうな、と思います。
その自信や、肯定感が幸・不幸の見方を変えているんじゃないでしょうか。
苦しいことや、辛い事、思い通りに行かない時は誰にでもあります。
後悔したことももちろんあります。
自分が逃げたり、うやむやにした時に残ると思います。
目の前の事に自分のできる方法で向き合う。
これができれば、より多くの幸せを得られると思います。
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